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タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ アメリカ戦車兵セット

【 アメリカ戦車兵を基本的なポーズで再現 】 アメリカ軍の戦車兵を再現したプラスチックモデル組み立てキットです。4体の人形は砲手と砲弾を抱える装填手、戦車長2体。戦車長は両手で双眼鏡を持ったポーズと、右手をあげて前方を指さし指示を与えるポースの2種類を用意。服装は第二次大戦の開戦当初から使っていたタイプで再現しました。その後も大きな変化がなくベトナム戦争時まで使用されていた服装だけに、幅広いシーンで使えます。 【 基本スペック 】人形4体付き 【 初回発売月 】 1970年7月


タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ ソビエト・SU-122 襲撃砲戦車

【 クルクスの戦いを勝ち抜いたソビエト初の本格突撃砲 】 傑作戦車としてその名を知られるソビエトのT34戦車。その車体に楔形のシャープな固定戦闘室を設け、122mm榴弾砲を搭載して登場したのがSU-122襲撃砲戦車です。SUとはロシア語のCYでサムホードネア・ウスタノーフカ(自走砲の意味)の頭文字を取ったもので122はもちろん搭載砲の122mmを表しています。独ソ戦の開始と共にドイツ軍の電撃戦に後退を続けたソビエト軍はT34戦車を中心に集中的に生産し、大量に投入して反撃を開始します。そんな中、新たな自走砲の開発も急ピッチで進められ、122mm榴弾砲を搭載する自走砲は1942年10月からウラル機械工場で開発がスタート。量産体制が整ったT34の車体を利用、約1ヵ月という驚異的なスピードで試作車を完成させると翌1943年1月には最初の量産型が冬のレニングラード戦に投入されたのです。そして1943年7月からロシアの大平原を舞台に繰り広げられた大戦車戦「クルスクの戦い」に参加。パンサー、タイガーなど総力を挙げて襲いかかってくるドイツ軍に対して23口径122mm榴弾砲の威力を発揮して死闘を繰り広げ、見事勝ち抜いたのです。ソビエトで最初の成功した襲撃砲戦車となったSU-122はクルスク戦の後、より強力な85mm戦車砲を搭載したSU-85にその座を譲りましたが、SU-100やJSU-122、JSU-152と続くソビエト襲撃砲戦車の基礎を築いた車輌といえるでしょう。


タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ ドイツ自走榴弾砲 ヴェスペ “イタリア戦線”

【アンツィオ海岸の敵陣地を狙え!】 第二次大戦中、ドイツ軍は歩兵支援や対戦車用として数多くの自走砲を開発しました。その中でもII号戦車をベースとした車体に歩兵支援用の10.5cm榴弾砲を搭載した自走榴弾砲がヴェスペです。主砲は重量14.81kgの榴弾使用時の最大射程が10,650mという優れた性能と高い信頼性を備え、1943年2月から44年7月までに676輌を生産。ロシアからノルマンディ以降の北西ヨーロッパまでの幅広い戦線で支援射撃に使われました。1943年以降のイタリア戦線でもヴェスペは奮戦。特に米英軍がローマ占領をめざして1944年1月に開始したアンツィオ上陸作戦では、ドイツ第26戦車師団や第29戦車擲弾兵師団の車輌が反撃作戦に出動し、米英連合軍を苦しめました。


タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ アメリカ戦車 M4A3E8 シャーマン イージーエイト (朝鮮戦争)

【 戦場を威嚇する、赤い悪魔のマーキング 】 第二次大戦中のM4シャーマン戦車の最終型となったのがM4A3E8イージーエイトです。防御力を向上させた後期型の溶接車体にV型8気筒ガソリンエンジンを搭載。水平懸架式サスペンション(HVSS)と幅の広い履帯による高い走行性能や、76mm砲の優れた対戦車戦闘能力を活かして連合軍の勝利に貢献しました。そして戦後も細部に改良を加えながら引き続きアメリカ軍に使用され、1950年に勃発した朝鮮戦争でも北朝鮮のT34/85に対抗して出動。練度の高い乗員と高速徹甲弾の多用により威力を発揮し、1953年の停戦まで奮戦しました。なお1951年の漢江沿いの戦いでは、中国義勇軍に対する心理作戦として、車体や砲塔の前面に猛々しい虎や悪魔の顔などを大きく描いた車輌も見られました。


タミヤ ミリタリーコレクション 1/35 フランス4輪装甲車 AMD35 “1940年”

【 フランス軍の先進的な装甲車 】 第二次大戦前にフランスのパナール社が開発を進め、1934年にフランス陸軍が制式採用した4輪の索敵用装甲車がAMD35です。車体や砲塔は平面の装甲板をリベット接合したもので、乗員は4名。車体の前後に操縦席を備え、105馬力のガソリンエンジンにより最高速度は72km/h。主砲として25mm戦車砲を搭載していました。生産途中から砲塔上面の視察装置を新型のペリスコープに換装、車長用ハッチに換気装置が追加され、車体右側の排気管にはマフラーが装着されました。1940年5月のドイツ軍によるフランス侵攻時には約360輌が配備され偵察任務に大きな働きを見せました。また対戦したドイツ軍もAMD35の優れた性能に着目し、捕獲後すぐに国籍マークを描き換えて自軍の車輌として使用しました。


タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ イギリス対戦車自走砲 アーチャー

【逆転発想のタンクキラー】 1942年、イギリス軍はドイツ軍の8.8cm砲に匹敵する性能を持つ、17ポンド砲を搭載する自走砲アーチャーの開発に着手しました。本格的な対戦車車輌が配備されるまでのつなぎ役として、既存の車輌を改造することとされ、最終的にバレンタイン歩兵戦車が選ばれました。小型の車体に長大な主砲を搭載するため、バレンタインの車体を延長し前後逆にして使用。車体前半部分を戦闘室として砲を後ろ向きに搭載しました。高速徹甲弾を使用すれば距離約900mで厚さ192mmの装甲板を貫徹でき、ドイツ軍のあらゆる戦車を遠距離から撃破可能。1944年4月に生産が開始され、機甲師団や歩兵師団の対戦車大隊に配備。同年10月に初めて実戦投入され、ドイツ戦車に対する切り札として大きな働きを見せました。


タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ ドイツIV号突撃戦車 ブルムベア 後期型

【 大火力で敵拠点を撃破せよ! 】第二次大戦中、歩兵の火力支援用に開発されたのがドイツ軍のIV号突撃戦車ブルムベアです。IV号戦車の車体をベースとして前面100mm、側面50mmの装甲を備えた大型の戦闘室が設けられ、強力な短砲身15cm榴弾砲を搭載。榴弾の射程は5,000mで、成形炸薬弾は30度傾斜した厚さ160mmの装甲板を貫徹できました。初期型、中期型、後期型の3タイプが開発されたブルムベアの中でも、後期型は1944年5月から大戦終結間際の1945年3月までに各型最大の約160輌の生産台数を記録。戦訓を取り入れて防御用の前方機銃や車長用キューポラを装備し、戦闘室も容積を拡大してレイアウトを一新。また大重量に対処するため、転輪は部分的にゴム縁なしの鋼製転輪に換装されています。ブルムベアのみで編成された突撃戦車大隊に配備された後期型は、東西両戦線やイタリア戦線で敵陣地や要塞化された市街地などの攻撃に威力を発揮しました。


タミヤ ミリタリーコレクション 1/35 ドイツ 3.5トントラック AHN・3.7cm対空機関砲37型セット

【 フランス生まれの個性派トラック 】1939年にフランスが開発に着手し、1940年6月のフランス降伏後にドイツ軍が開発を継続、自軍用として配備したのが3.5トントラックAHNです。ボンネットを持たないキャブオーバー式の車体が大きな特徴でした。軽量・頑丈で量産性に優れ、75馬力の6気筒エンジンを搭載。1941年から1944年までに約4,000輌が生産され、ロシアやイタリアなど幅広い戦線で兵員や物資の輸送、火砲の牽引などに多用されました。 【 3.7cm対空機関砲37型について 】第二次大戦中のドイツ軍を代表する対空火器の一つが3.7cm対空機関砲37型です。6発クリップ弾倉を使用して最大発射速度は毎分160発という性能を備え、連合軍の攻撃機に対して威力を発揮。空軍高射砲部隊などに配備された37型は東西両戦線で対空防御に大きな働きを見せました。


タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ イギリス歩兵戦車 バレンタインMk.II/IV

【 連合軍の窮地を救った立役者 】 小型軽量の歩兵戦車として、第二次大戦初期の1940年に登場したのがバレンタインです。イギリス軍の戦車不足に対処するために急遽開発。本国に加えカナダでも生産され、1944年までに大戦中のイギリス戦車としては最多の7,000輌以上を記録しました。最初に実戦投入されたMk.II/IVは主砲として口径40mmの2ポンド砲を搭載。130馬力のディーゼルエンジンを備え、大転輪1個と小転輪2個を1ユニットとしたサスペンションにより、歩兵戦車としては十分な機動力を発揮しました。1941年11月の北アフリカ戦線で初陣を飾り、1943年5月のチュニジア戦までイギリス軍の主力戦車として奮戦。一方、ソビエト軍にも多数が供与され、偵察任務などに重用されました。


タミヤイタレリシリーズ 1/35 ドイツ6輪装甲車 Sd.Kfz.231

【 ドイツ軍初の偵察用装甲車 】 第二次大戦前の1920年代後半から、偵察部隊の機械化を急いだドイツ軍は、暫定的に民間用6輪トラックのシャーシをベースとした装甲車を開発しました。これがSd.Kfz.231です。傾斜装甲で構成される車体に20mm機関砲と7.92mm機銃を備え、車体前部に60~70馬力のガソリンエンジンを搭載。最大速度は62~70km/hでした。また車体の前後に操縦装置を備え、偵察任務中のすばやい退避も可能でした。Sd.Kfz.231は、大型無線機とフレームアンテナを増設した無線通信型のSd.Kfz.232と合わせて約130輌が生産され、大戦初期のポーランド戦やフランス戦で偵察部隊の先鋒として奮戦。なおフランス戦に赴いたSd.Kfz.231の中には、車体前面に発煙装置を増設した車輌も見られました。