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【 赤穂の義士、8人を動きのあるポーズで再現 】 おなじみ忠臣蔵から、討ち入りの姿を再現した赤穂義士八名のプラスチックモデル組み立てキットです。★衣装、髪型、武器など十分な考証のもと、全体のプロポーションをはじめ、衣装の模様など細部までリアルに表現しました。★前髪立ちの少年姿の大石主税は十文字槍を右手に持ち駆け出すポーズ。★最年長者の堀部弥兵衛は手槍を右手に立てて持ち、左手を太刀にかけた立ちポーズ。★著名な俳人としても知られた大高源吾は太刀を袈裟懸けに切り下ろすポーズ。★片岡源五右衛門は手槍を右手に、左手に龕燈を持って周囲を照らすポーズ。★赤垣源蔵は大槌を振り上げるポーズ。★原惣右衛門は右手に手槍、左手を太刀にかけて駆け出すポーズ。★武林唯七は太刀を正眼に構えたポーズ。★間十次郎は右手に手槍を立てて持ち、左手で呼子を吹くポーズで再現しました。(※解説文中に誤りがありました。赤穂市の所在地は岡山県ではなく兵庫県です。ご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び致します。) |
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【 絶大な威力の大口径カノン砲を搭載 】 第二次大戦中にアメリカ軍が開発した自走砲の最終発展型がM40です。M4シャーマンの各種コンポーネントを流用して開発されたオープントップの車体に、ロング・トムの愛称で呼ばれた新型の155mmカノン砲を搭載。牽引砲を自走化することで、陣地転換に要する時間を大幅に短縮できました。8名の乗員で砲を操作し、発射速度は毎分1発。榴弾を使用しての最大射程は23.5kmに及びました。また、射撃時の安定性を確保するために駐鋤(スペード)を車体後部に装備していました。460馬力の空冷星型エンジンを車体中央部に搭載し、最大速度38km/hの機動力を発揮。大戦末期の1945年2月に生産が開始され、同年5月に制式採用されましたが、大戦終結のため生産は418輌で終了となりました。試作車輌が実用試験でヨーロッパ戦線に投入された後、1950年に勃発した朝鮮戦争では、遠距離からの敵陣地への間接射撃任務に絶大な威力を発揮しました。 |
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【 アメリカ戦車駆逐部隊の切り札 】 強力なドイツ戦車に対抗するため、アメリカ軍初の駆逐戦車として開発されたのがM10です。ディーゼルエンジンを搭載したM4A2シャーマン戦車のシャーシを流用し、オープントップ式の旋回砲塔に強力な3インチ(76.2mm)砲を搭載。車体上部や砲塔は避弾経始に優れた傾斜装甲を採用し、姿勢の低いシルエットを実現しました。また機動力を優先させたため装甲厚は控え目でしたが、必要に応じて増加装甲が取り付けられるよう、車体や砲塔にはあらかじめボルトを装備。1942年9月から1943年12月までに約5,000輌が生産されました。機動力と火力に優れるM10は、1943年3月のチュニジア戦線で初めてドイツ軍と砲火を交え、イタリア戦線や北西ヨーロッパ戦線、太平洋戦域でも戦車駆逐大隊の主力装備として奮戦しました。 |
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【 揺動式砲塔を採用した画期的な軽戦車 】 第二次大戦後、空輸によって迅速な海外展開が可能な軽戦車としてフランス軍が開発したのがAMX-13です。小型軽量の車体に強力な長砲身75mm砲を搭載するため、独創的な揺動式砲塔を採用したのが特徴です。砲塔は上下2段構造となっていて、主砲や自動装填装置などを固定装備した上部全体が俯仰。下部は上部を支えて旋回するというものでした。250馬力のガソリンエンジンを車体前部右側に搭載し、最大速度60km/hの快速を発揮。火力強化型や装甲兵員輸送車、自走砲など数多くの派生型を含めて、1952年から1985年までに約7,700輌が生産され、そのうち約3,400輌が輸出されました。フランス軍では機甲師団の偵察部隊などに配備されて1980年代終わりまで使用。その後も多くの国で使用が続けられました。 |
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【 ドイツ連邦軍を支え続けた主力自走砲 】 1955年に創設されたドイツ連邦軍には、主力自走砲として1964年からM109Gが配備されていました。M109Gはアメリカ製のM109自走砲の改良型で、火器管制装置やマズルブレーキ、履帯などを換装。最大射程は18.5kmでした。その後、兵力的に優勢なワルシャワ条約軍に対抗するため、1986年から1990年にかけてM109Gにさらなる改良を加えた車輌がM109A3Gです。主砲をラインメタル製39口径155mm野戦砲FH70の砲身に換装、新型の排煙器も装備され、最大射程は24.7kmに向上。砲弾搭載数は28発から34発に増加され、火器管制装置も一新、砲塔のパノラミック照準器には防弾カバーが追加されました。M109A3Gは2007年に新型自走砲PzH2000に主力自走砲の座を譲るまでドイツ連邦軍を支え続けました。 |
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【 最大級の射程を誇った自走砲 】 1956年に開発がスタートしたアメリカ陸軍の自走カノン砲がM107です。輸送機による空輸を可能とするため小型軽量にまとめられた車体に、長砲身175mmカノン砲をオープントップで搭載。最大射程は約32kmと車載砲としては当時最大級の射程を誇りました。発砲時の安定性を確保するため、車体後部には大型の油圧スペードを装備。乗員は車長と操縦手、そして砲手3名の合計5名でした。1961年に制式採用され、1965年にベトナム戦争で初めて実戦投入。特に1968年のケサン基地をめぐる攻防戦で威力を発揮し、非武装地帯を挟んでの砲撃戦でも北ベトナム軍砲兵部隊を圧倒しました。アメリカのベトナム撤退後、残されたM107は南ベトナム軍へ移管され、1975年のサイゴン陥落まで使用されました。 |
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【 傑作戦車の集大成イージーエイト 】 第二次大戦中に5万輌近くが生産され、連合軍の主力戦車となったM4シャーマン。その数多いバリエーションの中でも、大戦中の最終型となったのがM4A3E8イージーエイトです。フォード製V型8気筒ガソリンエンジンを備え、車体前面を1枚板として防御力を向上させた後期型の溶接車体に、対戦車戦闘能力に優れる76mm砲を搭載したM4A3(76)の発展型で、新型の水平懸架式サスペンション(HVSS)と幅の広い履帯による高い走行性能が特徴です。HVSSを装備したM4A3は、型式名称であるE8から一般にM4A3E8イージーエイトと呼ばれました。1944年8月に生産が開始され、同年12月のバルジの戦いで初めて実戦投入。1945年4月までに約2,600輌が生産され、優れた攻撃力と機動力を活かしてヨーロッパ戦線で連合軍の勝利に貢献。その後の朝鮮戦争にも投入されました。 |
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【 戦場を駆けたコンパクトな猟犬 】 M3/M5スチュアートの後継車として1944年6月に制式化されたアメリカ軍の軽戦車がM24チャーフィーです。車体や砲塔に傾斜装甲を採用し、B-25爆撃機用として開発された軽量コンパクトな75mm砲を搭載。足まわりはアメリカ戦車としては珍しいトーションバー式でした。1944年4月から翌45年7月までに約4,700輌が完成。第二次大戦末期の北西ヨーロッパ戦線とイタリア戦線に投入され、優れた機動力と低いシルエット、軽戦車としては強力な主砲により乗員の信頼を集め、1945年5月のドイツ降伏時には1,100輌以上が部隊配備されていました。さらに、大戦終結後も25ヶ国以上に供与されて朝鮮戦争やインドシナ戦争、ベトナム戦争などに姿を見せ、一部の国では1980年代以降も使用が続けられました。 |
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【 鋼鉄の豹、クルスクで初見参 】 第二次大戦後半にドイツ軍の主力戦車となったパンサーの最初の生産タイプがD型です。強力な長砲身70口径7.5cm戦車砲を装備し、ドイツ戦車初の傾斜装甲を採用して優れた防御力を発揮。また700馬力のエンジンによる機動力はソ連軍に大きな脅威を与えました。1943年1月から9月までに約840輌を量産。初陣となった1943年7月のクルスク戦では初期トラブルに悩まされたものの、その主砲は1,500~2,000mの距離から140輌ものソ連戦車を撃破。また戦闘中に正面装甲を撃ち抜かれた車輌は存在しませんでした。ドイツ戦車の転換点となったD型の設計思想を受け継ぎ、その後改良を重ねたA型、G型も登場。ドイツ軍の主力として終戦まで戦い続けたパンサーは、攻撃力、防御力、機動力をバランス良く備えた戦車として高く評価されています。 |
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【 シャープな細部表現で秀作キットを刷新 】 第二次大戦後半、2cm砲、5cm砲、短砲身7.5cm砲、長砲身7.5cm砲搭載の4タイプが生産された8輪重装甲車Sd.Kfz.234シリーズの中で、最初に計画されたのが2cm砲搭載のSd.Kfz.234/1です。平面構成の車体に210馬力の空冷ディーゼルエンジンを搭載し、80km/hの最大速度と約1,000kmの航続距離を実現。8輪駆動の足まわりによる高い走破性や、迅速に後退するための後部操縦席を備えていました。また2cm機関砲と7.92mm機関銃を同軸装備したオープントップ式砲塔は、最大仰角70度で対空射撃も行えました。1944年3月から1年間で約230輌が生産され、東西両戦線で戦車師団の偵察部隊に配備。必要十分な武装と優れた機動性能、広い行動半径を活かして終戦の日まで偵察任務に従事しました。 |










