サイト内検索結果一覧
現在の検索キーワード1060件のページが該当しました。
|
【 ドイツ軍を迎え撃ったフランス最強戦車 】 第二次大戦前の1930年代中盤、フランス陸軍の騎兵部隊用中戦車として開発されたのがソミュアS35です。生産性を重視して鋳造を積極的に採り入れたのが特徴で、特に車体は大型の鋳造パーツをボルト結合する先進的な構造を採用していました。また主砲には47mm戦車砲を搭載。190馬力のV型8気筒ガソリンエンジンにより最大速度40km/hの優れた機動力を発揮しました。1936年から1940年6月までに約430輌が生産され、主として軽機械化師団の竜騎兵連隊や胸甲騎兵連隊などに配備。1940年5月から6月にかけてのドイツ軍によるフランス侵攻では、ベルギーやフランス北部でドイツ軍を迎え撃って奮戦しました。バランスのとれた高性能を備えたソミュアS35は、大戦初期のフランス軍で最優秀の戦車といわれています。 |
|
【 フランスの怪物戦車、その力強い走りも再現 】 第二次大戦序盤の1940年5月、破竹の勢いでフランス国内に侵攻してきたドイツ軍の前に立ち塞がったのがフランス軍のB1 bis戦車です。第一次大戦終了後から開発が進められてきたB1戦車の改良型で、1937年から生産を開始。リベット接合の車体の右前部に短砲身75mm榴弾砲、小型の砲塔に長砲身47mm戦車砲を装備した強力な火力に加え、最大60mmという当時としては破格の重装甲を誇っていました。B1 bisは大戦初期のドイツ軍の主力対戦車砲であった3.7cm対戦車砲の攻撃を寄せ付けず、ドイツ軍をパニックに陥れたのです。また、フランス北東部のストンヌ村の戦いでは、2個中隊のB1 bisがドイツ戦車部隊を相手に奮戦。多数の被弾をものともせずに、10数輌ものドイツ戦車を撃破したのです。 |
|
【 新規パーツとモールド刷新でリニューアル 】 第二次大戦中、ドイツ軍はソビエトのカチューシャ・ロケット砲に対抗して15cmロケット砲ネーベルベルファーを開発、実戦投入しました。ネーベルベルファーはロケット榴弾あるいは発煙弾を最大射程7,000mで発射可能でしたが、牽引式のため行動に制限があり、また発射時の噴煙などで敵に位置を知られることが問題となっていました。そこで、このネーベルベルファーを10連装としてオペル・マウルティア半装軌式トラックのシャーシに搭載、自走化した車輌として開発されたのがSd.Kfz.4/1パンツァーベルファー42型です。車体は厚さ6~8mmの装甲板で構成され、上部に機関銃を搭載可能。1943年春から約1年間で300輌ほどが生産され、東西両戦線で米英軍・ソ連軍に恐れられました。 |
|
【 菱形の怪物が動き出す 】 第一次大戦中、イギリス軍が実戦投入した史上初の量産型戦車がマークIVです。西部戦線の塹壕陣地を攻略するために開発された画期的な新兵器、マークI戦車の発展型として登場。1917年3月から約1,000輌が生産されました。その中でもメール(雄型)は大砲を装備した塹壕突破、陣地攻撃タイプで、機関銃のみを装備したフィメール(雌型)も作られました。1917年11月のカンブレーの戦いでは、約400輌のマークIVを投入した大規模な奇襲作戦が実施され、大きな戦果を挙げました。また1918年4月にはドイツ戦車A7Vを相手に史上初の戦車戦が行われ、マークIVメールの砲弾がA7Vに命中、撃破したエピソードも残されています。マークIVは第一次大戦中のイギリス戦車を代表する存在として歴史に名を残しています。 |
|
【 北アフリカ戦線の対戦車砲陣地を再現 】 1941年6月に始まった独ソ戦初期、快進撃を続けるドイツ軍は大量の軍事物資や兵器をソ連軍から捕獲。その中には1,000門以上の7.62cm野砲F22も含まれていました。T34やKV-1など強力なソ連軍戦車に悩まされていたドイツ軍は、F22をより貫通力の高い対戦車砲に改造、Pak36(r)として制式採用したのです。その威力は徹甲弾Pz.gr.39を使用した場合で、角度60度・厚さ98mmの装甲板を500mの距離から貫通できました。Pak36(r)はロシア戦線はもとより遠く北アフリカ戦線にも送られ、イギリス軍マチルダ戦車を数多く撃破するなどアフリカ軍団の危機を度々救う活躍を見せています。またPak36(r)は対戦車自走砲マーダーIIIなどの主砲としても搭載されました。 |
|
【 8.8cm砲を搭載した最強の対戦車自走砲 】 第二次大戦中最強クラスの対戦車砲、ドイツ軍の71口径8.8cm Pak43/1を搭載した重自走砲がナースホルンです。独ソ戦当初、T34やKV-1など予想外に強力なソ連戦車に驚愕させられたドイツ軍は、戦車の大幅な強化を急ぐ一方、応急策として対戦車砲を自走化した車輌を多く作りました。ナースホルンもその中の一つで、当時開発したばかりのIII号・IV号戦車系自走砲専用車台に、長砲身8.8cm砲を搭載。あらゆる連合軍戦車をその射程外から撃破できる強力な攻撃力を誇りました。また戦闘重量は24トンに抑えられ、路上での最大速度42km/hを発揮。1943年7月に初めて実戦投入された際にはホルニッセと呼ばれましたが、1944年1月末のヒトラーの指示によりナースホルンと改名され、1945年3月までに439輌を生産。ナースホルンは東部、西部両戦線でドイツ軍戦車駆逐部隊の重要な戦力として大戦終結まで戦い続けたのです。 |
|
【 新開発パーツで傑作キットをリニューアル 】 第二次大戦中のドイツ軍中型軍用車を代表する車輌がホルヒKfz.15です。定員は4名、4輪駆動で4輪独立懸架の高機能なシャーシに最大出力85馬力の水冷8気筒エンジンを搭載し、路上での最高速度90km/hを発揮できました。またスペアタイヤが車体両側面に配置され、不整地での走行を助けるため空転するように取り付けられていたのも特徴の一つです。1937年から1943年まで生産され、大戦初頭の西部戦線やバルカン戦線、北アフリカやロシア戦線などあらゆる戦線で連絡や輸送、偵察や指揮など幅広い任務に使用されました。特に名将ロンメル指揮下のアフリカ軍団がイギリス軍と一進一退の激しい攻防戦を繰り広げた北アフリカ戦線では、頑丈な車体と高い走破性により将兵の信頼を集め、ドイツ軍の作戦行動を支えました。 |
|
【 悪路走破性を徹底追求した6輪駆動車 】 優れたオフロード走破性を備える水陸両用の輸送車輌として1966年に制式採用されたのがM561ガマゴートです。車体は4輪のトラクター部と2輪のトレーラー部が関節式ジョイントで接続され、全6輪を駆動。しかもトラクター部とトレーラー部が地形に合わせて別々に動くことで、極めて高い地形追従性を発揮しました。1973年までに約14,000輌が生産され、アメリカ陸軍や海兵隊の幅広い部隊に配備。輸送はもとより火砲の牽引などにも活用されました。1983年のグレナダ侵攻作戦では、救出された米国人医学生達の搬送にも活躍するなど、1990年代初めまで使用されました。なおガマゴートという愛称は、関節式ジョイントの開発者 R.ガマウントの名前と、ゴート(山羊)に負けない不整地での機動力から採られたといわれています。 |
|
【 国産最新鋭戦車が早くも登場! 】 最新のテクノロジーを駆使して2010年に制式採用された、陸上自衛隊の最新鋭戦車が10式(ひとまるしき)戦車です。主砲には国産の新型120mm砲を搭載。攻撃力をアップさせながら、砲塔などにモジュール装甲を配して防御力と運用性の向上をはかっています。またC4Iネットワークシステムを導入して各部隊が連携した戦闘が可能。さらにコンパクトなパワーパックの採用による車体の小型軽量化で優れた機動力を実現。全国の部隊への配備と迅速なトレーラー輸送が可能となりました。2012年から部隊配備を開始。富士周辺の部隊を中心に運用・乗員教育が進められ、74式戦車と順次交替して配備される予定となっています。 |
|
【 傑作自走砲M109の最初の生産型を再現 】 1952年の開発開始以来アップデートが重ねられ、現在も部隊運用が続けられているアメリカ軍の傑作自走砲M109シリーズ。その中で1963年に制式化された最初の生産タイプがM109です。軽量なアルミ合金製の車体と405馬力の液冷ディーゼルエンジンを組み合わせ、最高速度56km/hの機動力を発揮。そして旋回式砲塔には20口径155mm榴弾砲M126を搭載し、乗員は6名でした。陸軍への引き渡しは1963年に開始され、1969年までに合計約2,100輌を生産。1960年代後半には激戦の続いていたベトナムへ送られ、歩兵部隊への支援射撃任務に奮戦しました。なおベトナム戦線でのM109の中には、北ベトナム軍やゲリラの奇襲攻撃に備えて、コマンダー用キューポラとM2重機関銃にガンシールドを取り付けた車輌も見られました。 |










